<其乃四>


「大和守安定!」
 血と泥に汚れた浅葱色の法被をようやく視界に捕らえ、宗三左文字は声を張り上げた。
「うるさい! ついてくるなッ……」
 血煙を上げて倒れる敵たちの中心に立って、悪鬼の形相で、大和守安定が刀を振るって荒れ狂っている。
「突出しすぎです、」
 自分を近寄せたくない気持ちは十分に理解できるが、宗三左文字はそれ以上に大和守安定の身が心配だった。敵を薙ぎながら彼に走り寄り、必死で追いすがる。
 宗三左文字は、大和守安定が疲労を溜めていないか心配だった。宗三左文字よりも経験において勝る大和守安定は、この戦場で敵に後れを取るような練度ではない。だが今は、心の荒れがそのまま体の乱れに繋がってしまっていて、このまま戦えばいつしか、敵の刃に捕らえられてしまうことになりかねなかった。
「寄ったら、おまえも斬るからなぁッ……!」
 若年で果てた剣士に振るわれた前世を持つ大和守安定の心はあまりに若く、宗三左文字の心配を寄せ付けない。しかし大和守安定は既に、肩で息をするほどに呼吸が荒く、泥に汚れた足も安定を欠いていた。
「大和守安定! 控えて――」
 宗三左文字が言う間に、大和守安定の足が濡れた草、次いで倒れた敵の腕を踏んで、均衡を崩す。
「ッ……、」
 体勢を立て直すより早く、敵の打刀の白刃が大和守安定の背に迫った。
「――安定!」
 そう口に出したか否かも宗三左文字は覚えず、刀を振るって敵の打刀に斬りかかる。切り口は浅かったが敵の注意は大和守安定から逸れて宗三左文字に害意が及ぶ。宗三左文字は敵の刃を撥ね除けながら敵と大和守安定の間に回り込んで、大和守安定の背を護る。
「背中ががら空きですよ、」
「余計なことすんなっ! 裏切り者のくせに!」
 背後から大和守安定が叫んでいたが、宗三左文字のほうでは謝罪するゆとりはなかった。
「おまえなんかいなくたって、僕一人で戦える……」
 大和守安定がこちらを振り向いて叫ぶその奥に、更なる敵の刃が迫っていた。
「安定! 避けてください、」
 咄嗟に、宗三左文字は、法被の中の腕を掴んでその体を突き飛ばす。
 敵の刃は空を切り、次いで宗三左文字自身に向けて強烈な殺意が向けられてきた。
 対峙するのは太刀。速さにおいて宗三左文字が劣る敵ではない。
 雨に濡れた敵の白刃が煌めき、宗三左文字の目を眩惑する。
「――――」
 敵の攻撃をいなし、反撃を加えるのは容易いはずだった。
 風を裂いて迫る敵の刃紋。切っ先の帽子まで見極められる。
 避けられるはずだ。
 だが宗三左文字の足は動かず、瞬間、固まったままの身体で敵をただ眺めていた。
 敵の、厚刃の刀身の向こうに自由が見える―――
 そんな錯覚に捕らわれた。
 ―――御屋形様から自分の前世である太刀をもって刃を向けられたときに。
 既にこうなるべきであったのかも知れぬ。
 相手の斬撃が、無防備な宗三左文字の体に正面から打ち込まれた。
 吸い込まれるように刃が深々と僧服に入ってゆき、宗三左文字の皮膚を裂き、骨を砕き、臓物を破る。
「宗三くん!」
 背後から大和守安定の声が宗三左文字の耳に届いた。
 深傷より飛び散った血しぶきが、瞬間蝶にも似た形を取り、すぐに泥の中に散っていく。
 宗三左文字には己の血はもはや見えてはいなかった。
 色違いの目にはただ、敵の、雨を弾く白刃が残光となって焼きついていた。
 白い光の中に何かが舞っている。あるいはそれは、仄赤い鳥の姿か。
 認識できたのはそこまでだった。
 宗三左文字の意識は闇の中に絶えた。




 ――きみは全く薄情だ。
 僕を差し置いて勝手に飛び去った挙げ句。
 ただの一度さえ、夢に出てきてもくれない。
 目を開けて手入れ部屋の天井を眺めながら、仰向けに横たわった歌仙兼定はむっつりと、死んだ恋人を心中で責めていた。
 戦場で中重傷を負う度に手入れ部屋に籠り、傷が癒えるまで横たわって過ごす。怪我が治ればほぼ時も置かず、再び部隊を組んで出陣する。
 恋人だった一振目の宗三左文字を失ってから後、もう幾度それを繰り返しただろうか。
 眠っている間に、宗三左文字の姿を夢に見たことは一度もなかった。
 きみは死後も僕を気にかけてくれたりはしないんだな。
 結局きみは、僕ではなく別の何かを、刀剣男士としての人生の中に追っていたんだろう。きみがもっとも愛していたのは僕ではなかった、そういうことだ。
 さもなければ僕を置いて去ったりなどしない筈だ。
 小夜左文字にさえ広言できぬような恨み言を、歌仙兼定は脳裡でえんえんと繰る。体の裡側で燃えさかるのは常に憤怒だった。歌仙兼定の立て続けの出陣は復讐というより八つ当たりに近い。恋人やその死について怒り、喚き散らす代わりに、戦場で敵を屠っているようなものだ。
 目を閉ざせば天井は視界から消え、瞼の裏には緋桜のごときかつての恋人の姿が浮かび上がる。桜花とともに顕れて、血の中に散っていった、仄赤い僧形の青年。
 自分はまだ彼が恋しいのだ。その死を全く受け入れられないほどに。
 歌仙兼定は目を閉じたまま息を吐き、恋人への怒りをゆっくりと手放していく。怒気の後に襲ってくる感情は決まって強い喪失感で、歌仙兼定はそれには慎重に蓋を被せて湧き上がる悲嘆を押さえ込む。
 刀剣だった前世では、歌仙兼定は、戦場に出ることなど殆ど無かった。本来、屋敷内で腰に差す為に鍛冶打たれた居抜き用の打刀で、その刀身も短めだ。鎌倉・室町期の太刀の姿を経て、磨上を受けて打刀となった宗三左文字やへし切長谷部、大倶利伽羅などとは、作られたときの有りようが違う。
 刀剣男士としての己が戦法に長けているのは、前世の主であった戦国武将、細川三斎から強い影響を受けている所為であろう、と歌仙兼定は想像していた。和歌はともかく、自分の持つ美意識や京風の味覚、文化への造詣の深さなどは、三斎の存在を抜きにしては説明がつかぬ。義理を重んじ、やや怒りっぽい性格も、自分が三斎と似ていると思える部分だった。
 ――――希死念慮を抱く人を強く愛し、労りつつ護り、しかし結局は、戦によって先立たれてしまうところも。
 そんな状況まで、三斎様の人生をなぞってしまうことになるとは。
 最愛の正室、明智玉の死後、三斎はその死をひとり悲しむことはできなかった。関ヶ原の戦を控えており、一族と家臣団の命運の全てをその肩に負うていた。三斎は冷静に東西分け目の戦を勝ち抜き、その後、細川家正室の死はむしろ徳川への忠誠として利用され、殉死として美化されて、そのまま現主の世にまで至っている。
 三斎と同じく。
 歌仙兼定は喪った一振目の宗三左文字の後を追ったり、その死をひたすら嘆き悲しんだりすることはできない。初期刀、近侍として主の本丸を支え、戦術の要とならねばならぬ。
 だから自分にできることは、戦場で戦うことだけだ。時間遡行先で敵を屠ることは、死んだ恋人の仇を取ることでもある。恋人が生きていた間、戦の合間に愉しんでいた和歌や茶の湯、庖丁のことどもなどは、恋人と過ごした時間と同様に、全て過去の彼方に追いやられてしまった。
 何を愉しむ気も起きない。己の裡にあるのは、恋人に先立たれた孤独と、恋人を死なせた敵への憎悪だけだ。
 手入れ部屋には窓はないが、襖の間から差し込む光で、今は夕刻だと知れる。歌仙兼定は起き上がり、身繕いをして自室に戻る準備をした。
 夕餉の後には部隊を整え、再び出陣できるだろう。
 そのように考えていた。


 廊下に出ると慌ただしい気配が漂っていた。
 自分が手入れ部屋に籠もっている間に、出陣していた別部隊の誰かが怪我でもしたものであろうか。近侍としてはそれが誰かを見極めておかなくてはなるまい、と考えたところで、歌仙兼定の脳裡に薄紅の影が過ぎった。
 今日は二振目の宗三左文字が初陣する日だ、そのように小夜左文字から聞いていた。瞬間湧き上がった、焦燥めいた胸騒ぎを、歌仙兼定はすぐに打ち消す。一振目が戦場に斃れたからといって、二振目もそうなるとは限らない。出陣部隊は、兼定派の末裔たる部隊長・和泉守兼定を始め、そこそこ経験を積んだ幕末連中を中心に組まれていた筈だ。時間遡行先が宗三左文字に因縁の深い桶狭間であるとは言え、余程にまずい事態でも起きなければ、中重傷者が出るような戦場ではない。
 桶狭間――二振目の宗三左文字の心が、堪えきれぬような何ごとかが起きたのだろうか。
 いや、と歌仙兼定は再び思い直す。そもそも、怪我をしたのは別の刀剣男士かも知れないのだ。状況を把握もせぬうちから恐怖するのは間違っている。
 だが歌仙兼定の危惧は的中していた。
 手入れ部屋のある棟から城門に続く中庭に降りた辺りで、歌仙兼定は騒ぎに遭遇する。
 城門から手入れ部屋に向けて、板状に繋げた盾に乗せられた刀剣男士を取り巻きつつ、帰城した刀剣男士達が足早に近づいてきていた。城で留守居をしていた連中も怪我人に気づき、彼らの周囲に集いつつある。
「歌仙さん!」
 小夜左文字の悲鳴に近い声が前方から響いてきた。
 騒ぎの中心である板戸の上に血塗れの紅梅色の僧衣が見えた途端、歌仙兼定の脳に勢いよく血が流れ込んだ。
「―――――!」
 宗三左文字が、自力で帰還できぬほどの大怪我を負ったのだ。
 その他の全てのことを忘れて、歌仙兼定は駆け寄った。
 有無を言わせぬ歌仙兼定の様相に、殆どの刀剣男士が慌てて道を空ける。
 歌仙兼定は瞬きもせずに横たわった宗三左文字の姿を見定めようとした。
 盾の上で、宗三左文字の胴体から顔まで新撰組の法被が被さっており、怪我の程度は知れない。浅葱色の法被は血と泥に黒く汚れていた。身動きしていないということは宗三左文字は意識をなくしているのだろう。盾から零れた細い腕は幽鬼の如き白さで、相当の血を失ったことがわかる。
「宗三左文字どの、」
 口中から言葉を発する間も惜しんで、彼の様子を知る為に法被を手で退けようとした歌仙兼定の手に、別の刀剣男士の体が突き当たった。
「触るな、歌仙兼定!」
 邪魔をした刀剣男士を、歌仙兼定は緑の目に怒りの赤を散らして見据える。
 全く臆することなく、傲岸な灰色の目が歌仙兼定を睨み返してきた。
「知っている筈だ。これはおまえの恋人だった奴じゃない」
 横たわった宗三左文字と歌仙兼定との間に、へし切長谷部が立ちはだかっていた。
 その喉から発せられた低い声に、歌仙兼定へ向けた苛立ちと憎悪が混じる。
「面倒を見る気もない癖に。庇護者面で宗三に触るな」
「……………、」
 歌仙兼定は怒りのあまり言葉も無くし、抜刀せんばかりの形相で切長谷部を睨みつけた。へし切長谷部はまったく動じず、歌仙兼定と同じほどの怒気がその武張った肩に立ちのぼる。
 宗三左文字の深傷だけでなく、殺気立った打刀二人の気配が周囲の緊張をいっそう強め、他の刀剣男士は立ち止まって困惑しつつ事の推移を見守っていたが、
「どけや、おまえら! くだらねえいざこざは後にしろ! 宗の字を手入れ部屋に入れるのが先だろうが!」
 城門側にいた和泉守兼定の大音声で、我に返ったように歌仙兼定とへし切長谷部は脇へと退いた。続く形で、彼らを取り囲む刀剣男士も輪を解いた。
 和泉守兼定の言葉は全くの正論であり、そればかりではなく彼の態度の通り、戦場で宗三左文字が怪我を負ったことやその身柄に関しては歌仙兼定やへし切長谷部ではなくて、部隊長の和泉守兼定が責任を担っている。
「急げ!」
 和泉守兼定に急き立てられて、盾の上の宗三左文字の体は手入れ部屋へと運ばれていく。
「お小夜、」
 歌仙兼定は従者である小夜左文字の名を呼び、兄について行くよう目で指示する。
 左文字派の末弟は部隊が帰城した直後からこの騒ぎの外周にいたのだ。
 心得た小夜左文字は無言で歌仙兼定に頷いて見せ、そのまま傍を離れて、宗三左文字を運ぶ幕末連中の後について行った。
 手入れ部屋の棟へ運び込まれる宗三左文字の姿を認めて、歌仙兼定は深い息を吐く。
 帰還したということは、とりあえずあの宗三左文字は生き永らえられる。戦場に散った一振目の宗三左文字と、そこは違うところだった。そのことに安堵を感じつつ、怪我はどれほどなのか、何故彼は重傷を負ったのか、手を尽くして調べねば、と歌仙兼定が思考していると、脇からへし切長谷部の声が響いた。
「あの宗三に構う資格などきさまにはあるまいが。歌仙兼定」
「……なんだと」
 歌仙兼定はへし切長谷部への怒りを再燃させて彼に向き直る。
 歌仙兼定と同じく視線に怒りを溜めて、へし切長谷部が見返してきた。
「おまえがあいつに近寄りたければ、今までその時間は充分にあった筈だ。奴が顕現してからこちら、おまえは意図的にあの宗三を無視してきただろう。俺や他の織田佩刀連中が、それに気づかんとでも思うのか」
 宗三左文字や他の刀剣男士たちが眼前からいなくなった今、へし切長谷部の歌仙兼定への舌鋒は鋭さを増す。
「恋人でもない奴が、宗三を所有や独占しようと思うな。近侍としての権限を笠に着て、今更庇護者ぶって何になる。奴に冷たく当たってきたきさまに、二振目の宗三を引き回す資格は無い」
 真実を指摘したへし切長谷部の言葉が歌仙兼定の胸を射る。
 へし切長谷部が向けてくる冷えた憎悪。恋人であった一振目の宗三左文字を守り切れずに死なせた、という歌仙兼定への責めをその視線は含んでいた。
 織田佩刀の誰もが、信長の刻印を身に打たれた宗三左文字に、意図もせずに惹かれている。
 刀剣として前世の縁の薄い歌仙兼定が一振目の宗三左文字を独占し、命を守り通せなかったそのことが、今現在も、歌仙兼定へのへし切の嫉視と憎しみを生んでいた。
(言われなくとも……)
 恋人の写しそのものの二振目の宗三左文字を、歌仙兼定は扱いあぐねている。
 彼に手を差し伸べるつもりも謂われもない。
 だが。
「僕は主の初期刀で、しかも近侍として城を任されている。城中の刀剣男士に助けが必要とあらば僕の力を貸す。それが誰であろうと」
 初期刀として主とともに本丸を担ってきた自負がある。
 へし切長谷部などに後れを取るつもりはない。
 歌仙兼定は肩をそびやかして相手を睨み返した。
「それが余計な世話だと言うんだ」
 へし切長谷部が吐き捨てるように言った。
 怒気を緩めず睨み合ったままで、二人の打刀は間を開く。
 歌仙兼定はその場に立ち止まり、へし切長谷部は立ち去る風情で。
「あの宗三は俺たち織田佩刀で面倒を見る―――きさまは手を出すなよ」
 そう言い捨てて、歩き去るへし切長谷部の背中を、歌仙兼定は長いこと睨みつけていた。


 宗三左文字を担ぎ込んだ手入れ部屋の前の廊下では、別の騒動が持ち上がっていた。
「そ、宗三左文字くんが、」
 宗三左文字が入れられた部屋の前で、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら大和守安定が声を上げる。
 手入れ部屋のある棟にいるのは、宗三左文字と同時に出陣した大和守安定と和泉守兼定、ほか数名だけになっていた。
 意識を失った宗三左文字の傍に貼りついて、板に乗せた彼の体を運び、その際、汚れるのも構わず己の浅葱色の法被まで体にかけてやったのは大和守安定だった。
 宗三左文字の重傷に責任を感じ、大和守安定は酷く動揺していた。戦場にいたときと同じく、その精神は不安定なままだ。
「どうしよう。僕の所為で宗三くんが死んじゃう……!」
 宗三左文字を寝かせた手入れ部屋の障子の前に座り込んで、大和守安定は泣きじゃくる。
 和泉守兼定が溜め息をつきながらそれを見下ろしている間に、廊下の奥から和服姿の加洲清光が急ぎ足でやってきた。彼は内番を申しつけられていて、戦場には出ていなかったのだ。
「ソウサモちゃんが大怪我したって、マジか」
「き、清光、」
 盛大に洟を啜り上げながら大和守安定が相棒を見上げる。
「僕を庇って、ぼ、僕が彼に怒ってたから、宗三くんに反発して、忠告を無視したら……、て、敵の奴が、でも、宗三くん、反撃する気力を無くしてて、」
 しゃくり上げながら大和守安定が説明しようとするが、加洲清光には全く要領を得ない。
「あんなに責めるんじゃなかった…! 刀解とか、言わなきゃよかった、殺すとか、死ねばいいなんて、言っちゃいけなかったのに、」
「……そう思うんだったら、宗の字にそう言ってやれ。奴が手入れ部屋から出てきた後でな」
 和泉守兼定が珍しく、あまり覇気のない声で大和守安定を慰めた。
「………戦場で、なんかあった?」
 勘のいい加洲清光は大和守安定が喋った以上の何かに気づいたらしく、宥めるように安定の肩に触れながらも、和泉守兼定に探りを入れてきた。
「本丸まではどうにか連れ帰ったが。宗の字の先行きはあんま明るくねえ」
 和泉守兼定は渋い顔で加洲清光に応じる。
「とりあえず主に顛末を報告して、詮議は後日になるだろうが……あんだけの軍規違反を冒して、お咎めなしってわけには行かねえだろうな」
「軍規違反? ソウサモちゃんが?」
「と、刀解されちゃうかも、」
 清光に肩を抱かれながら、安定が言った。
「刀解って……」
 清光が息を呑む。
 そこまで重い処罰を受けた刀剣男士はかつて本丸に存在しない。
「昔の主に逢いに行っちゃったんだ、宗三くん。そこで……死の運命と、それを変える手立てを、相手に教えちゃった」
「馬鹿な。そんなこと……」
 加洲清光が絶句する。
 歴史を変えてはならぬことは、この本丸に集う刀剣男士ならば皆知っている。歴史の改変を食い止める為の時間遡行なのだ。
「今川の棟梁が宗の字の話を信じなかったから、結果的に歴史改変は起きなかったが……それで宗の字の咎が消えるわけじゃねえからな」
「重傷状態で本丸まで連れ帰ってきて、元気になったら死罪かよ」
 和泉守兼定の説明に、清光が震え声で、その場にいた刀剣男士達の危惧を口に出した。
「だったら。もしかしたら、戦場で死なせてやったほうがよかったんじゃねーの。前のソウサモちゃんみたいに」
「かも知れねえな。安公を庇ったとき、敵の刃を受けるより早く宗の字は戦意をなくしてやがった。或いはそれも後で咎められるかも知れねえ。戦う気を失って勝手に武器を置いたも同然だからな。持ち場の放棄って奴だ」
「ぼ、僕を庇ってくれたのに、宗三くんがいなくなるの、イヤだよ……! 清光……!」
 清光に縋りついて泣きじゃくる安定を、苦虫をかみつぶしたような顔で和泉守兼定が見下ろす。
「おめえもちっとは落ち着け、安公。いつまでも未熟なまんまじゃ、今日みたいに、戦場で部隊の足を引っ張ることになるだろうが。そんな奴は戦場には出せねえぞ」
「……兼定、今は勘弁してやって。こいつには後でよく言って聞かせておくから」
「おうよ。任せたぜ」
 清光に宥められて、和泉守兼定はようやく矛を収める。沖田総司佩刀である清光と安定は二人とも、土方歳三佩刀だった和泉守兼定の弟分の双子のような存在であるが、本丸への顕現時期は安定のほうが清光よりずっと遅く、その分精神も幼いきらいがあった。
「さてと、主に報告しに上がる前に……、さすがに風呂に入るか。やっと泥と血が落とせらぁな」
 長い黒髪を揺らして和泉守兼定が手入れ部屋の前から引き返そうとしたとき。
「……あの」
 廊下の奥から、幕末連中に向けて声がかかった。
 見れば、小夜左文字が、無愛想ながら不安な面持ちでそこに立っている。
「宗三兄さんは……いったい、どういう状況ですか」
 小夜左文字の問いにしゃくり上げる大和守安定は答えられず、脇に立っていた和泉守兼定はむっつりと腕を組んだ。
「アニキが心配か。小夜の字」
「……………はい」
「そらそうだな」
 和泉守兼定は僧形の少年を見つめて青い目を眇め、諦めたように息を吐いた。
「……風呂の前にもう一丁。ナシつけなきゃなんねぇなあ」


 そろそろ日が沈む頃合いだが、重たい雲が空を覆い、西方の空に太陽の在処は見通せなくなっている。
 帰還した部隊が去り、野次馬も消えて、無人となった城門前の中庭に歌仙兼定は憮然として佇んでいた。
 二振目の宗三左文字の情報を探りに行った小夜左文字を待っていたのだが、やがて姿を現した小夜左文字は、もうひとりの兼定と連れ立っていた。
「之定。おめえ、二振目の宗の字は世話しねえのかよ」
 開口一番、挨拶も何もなく和泉守兼定に指摘されて、歌仙兼定は不機嫌に眉根を寄せた。
「……そんなこと。きみに言われる筋じゃない」
「おぉ、そうかよ」
 相手を横目に見ただけですげなく答えた歌仙兼定に怒りを煽られて、和泉守兼定も大仰な仕種で腰に手を当てて見せる。衣裳や長い黒髪の所為もあって、歌仙兼定以上に身厚を感じさせる和泉守兼定は、粗暴な態度と相まって常から威圧感は強く、礼儀に五月蠅く怒りっぽい歌仙兼定とは会話の相性が悪かった。
 今も口をへの字に曲げて、和泉守兼定は横柄に歌仙兼定に応じてくる。
「そりゃおめえの勝手だがよ。本丸の掟を知らねえ新参の宗の字には、目付が必要だったんじゃねえのか。それを差配すんのは近侍の仕事だろうが」
「………」
 痛いところを突かれて歌仙兼定は和泉守兼定を無言で睨んだ。最前へし切長谷部に喧嘩腰で言い放った言葉が、返し矢となって己に突き刺さっている。
「織田佩刀の連中が新たな宗三左文字どのに付きまとっていたから、ある程度の知識は彼らから得ている筈だ」
 そう釈明したが、
「だからっつって之定が、織田方にそうしろと指示したわけでも、宗の字がどうしてるかてめーで確認したわけでもねーんだろ? ただの放置じゃねえか。そんなんで新参教育と呼べるかよ。おめえ、一振目の宗の字を喪って、城を統括する気もなくしたのか」
「……………何が言いたい」
 亡くなった恋人のことを持ち出されて、瞬時に怒りを撓めた歌仙兼定が低い声で唸る。その手は刀の柄に寄せられ、今にも引き抜かんばかりだ。
 和泉守兼定は頓着せず、青い目で歌仙兼定をまっすぐに睨み据えた。
「黴くせえ和歌だの庭だの茶だのに本丸全体を巻き込んで夢中になってる間だって俺たちゃそこそこ迷惑してたが、今おめえがそれに興味をなくすのはどうでもいい。毎日戦場に出かけて、深傷も構わず敵を殺しまくってんのも、好きにしろや。それも刀剣男士の本懐の一つだろうしよ。
 ただ、近侍は降りとけや。親友の後を追いたくて死に急ぐ奴が総大将じゃ、城の空気が破滅的になって、部隊の勝敗にも影響が及ぶからなぁ」
「………きさま……!」
『一振目を恋うて死にたがっている』と決めつけられて、歌仙兼定がついに激昂した。
「きさまに僕の何がわかる! この愚劣な末裔の不風流者が!」
「歌仙さん!」
 脇にいた小夜左文字の制止も聞かず、歌仙兼定の居合が閃くかと思われたが、喧嘩慣れしている和泉守兼定は恐れ気もなく、むしろ素早く歌仙兼定に足を寄せて、鍔と鍔が打ち合って抜刀が遮られるほどに歌仙兼定に近寄った。
「堪え性のねえ野郎だな。こんなとこで抜刀する気かよ。近侍の面目丸潰れだぜ」
 体と体、顔と顔を寄せ合う形のまま、和泉守兼定が至近から歌仙兼定を嘲った。
「之定にとっちゃ、死んだ宗の字はその程度の存在ってことか? 宗の字由来の刃傷が城中で知れ渡ったら……おめえの面目だけじゃなくて、一振目の宗の字の面目も立つめえによ」
「く……、」
 赤が散った緑の目に怒りを滾らせ、歌仙兼定が和泉守兼定を睨み返す。
 和泉守兼定の動きに遅れを取ったのは、無意識の逡巡に原因がある。和泉守兼定に言われた通り、恋人の死を巡っての騒動は、亡き一振目の宗三左文字の名をも堕すことになる。心底では歌仙兼定はそのことを理解していた。
「俺はてめーのことなんかわかる気もねえよ、之定。戦場で死にたがる奴なんか、でえっきれえだ」
 黒い前髪から覗く和泉守兼定の鋭い青い目には、歌仙兼定とは別の種類の怒りが湛えられていた。
 和泉守兼定の前世の主は新撰組副隊長の土方歳三だった。隊長の近藤勇に先立たれた土方は、箱館戦争を生き延びる気など一切無く、若輩者や有能な部下には離脱を勧めつつも、自らは苛烈な戦場の前線に立ち、敵の銃撃を受けて亡くなっていた。
 無論それは、戦国期の打刀である歌仙兼定の知るところではない。
「僕は死にたがったりなどしたことはない!」
 己のことを言われたと取った歌仙兼定が、和泉守兼定に向かって歯軋りしながら吐き捨てる。
 ふたりの兼定は至近に身を寄せ合ったまま、柄で柄を止め合い、互いを睨み据えている。
 間合いを開ければ抜刀が可能になってしまう。今は接近が最大の防御であり攻撃だった。
 傍にいる小夜左文字が、はらはらしながら状況を見守っている。
「そうかよ。おめえの他に、戦場で死にたがってる奴が、もう一振りいそうだけどな」
「………………」
 和泉守兼定が指摘したのが誰か計りかね、歌仙兼定が瞬間黙り込む。
「歌仙さん……、」
 大人二人の脇から小夜左文字が心配そうに声を上げた。
「小夜の字、こっち来い」
 意外にも和泉守兼定に呼ばれて、小夜左文字は二人に近寄る。
 和泉守兼定が伸ばした腕に引き寄せられるようにして、小夜左文字の体が二人の兼定の間に入った。
 同時に和泉守兼定は後方に身を引いて、歌仙兼定から遠ざかる。
 相手の抜刀を警戒しつつ、歌仙兼定の身内である小夜左文字の体を押し出して、和泉守兼定は自らの保身を図っている。
 その抜け目の無さと、小夜左文字を人質に取るかの如き動きに歌仙兼定は和泉守兼定への怒りを一層募らせたが、
「之定」
 和泉守兼定の言葉は、怒っているというよりはそれを装うような口調で発せられた。
「てめえの感情にかまけるのは好きにすりゃいいけどよ。今生きてる奴、これから生きる奴、傍でおめえを気遣ってる奴のことまで失念してんじゃねえよ。目配りが効いてこその近侍だろ」
 和泉守兼定の大きな手が小夜左文字の紺色の頭髪を撫でて、すぐに離れた。
「桶狭間での経緯はこのぼうずに教えといてやったからな。後で聞いとけ」
 斬りかかられても充分に対応できる間合いまで下がってから、和泉守兼定は最後に歌仙兼定を横目で睨みつけ、くるりと背を向ける。
「く………、」
 歌仙兼定の口から歯軋りが漏れた。
 和泉守兼定に斬りつける機会は既に失われていた。
 末裔である和泉守兼定に対し、普段から見下した態度を隠しもしていなかった歌仙兼定だが、今回は、和泉守兼定にしてやられた態になった。
 遠ざかる和泉守兼定の背中を睨みつけて、苛立ちつつも、柄にかけた手をようやく離す。
「歌仙さん……」
 小夜左文字が心配げに歌仙兼定を見上げてくる。
 常に歌仙兼定の身を案じる小夜左文字が和泉守兼定の行動に反応しなかったのは、小夜左文字もまた和泉守兼定と同じく、この場を穏便に済ませたかったからだろう。
 それが読み取れる程度の理性は歌仙兼定に残っていた。
 歌仙兼定は息を吐き、心をどうにか落ち着かせる。
「和泉守兼定のことは捨て置いていい、お小夜。館へ戻ろう。報告はそこで聞く」
「……はい」
 既に日は落ち、辺りは薄暗くなり始めている。
 歌仙兼定と小夜左文字の二つの影が、薄闇の中を連れ立って、中庭から歩き去っていった。






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